別名銀杏城とも呼ばれる熊本城。 54万石の大名加藤清正は築城にあたり多くの
籠城策を備えていた事に感心する。
10月この季節、街路樹等のイチョウの下で熟れた銀杏を見かける。
清正はイチョウを城内に多く植え、非常食にするため実を地下に貯蔵したり壁に
塗り込むなどしたといわれている。

本丸御殿の前に、城が完成したときに植えられたといわれている銀杏の木があり
これが銀杏城の名の起こり。
飲料水確保のため城内に井戸を120あまり、食料として畳の中に干ぴょうやズイキを
入れていたとも、清正の過去の苦い経験が活かされている。